祐太がフェリー岸壁に着いたとき、その日の相棒である菅野(37)は、既にタラップを船に近付けていた。
タラップは1人で動かしてはいけない。
それが決まりだ。
切符取りのペアがもう一組あるから、誰かに手伝ってもらったのだろう。
祐太と菅野がペアを組むのは初めてだった。
「遅れてゴメンなさい。今日はよろしくお願いします」
祐太は笑顔で挨拶をしたが、菅野はそれには答えず、ニコリともしなかった。
「祐太。おまえ、バイトのクセに重役出勤やな」
ずいぶんトゲのある言い方だった。
「違いますよ!こっち来る前にお客さんを先導しよったけん、遅なったんですよ」
祐太は口を尖らせて反論した。
「そんなんどっちでもええわい」
菅野はそう言うと、顔をシカメながらアゴをしゃくった。
タラップの反対側に付いていろとゆう指示だった。
祐太は目の奥がキュッと痛むのを感じた。
バイト先で受けた初めての冷たい扱いに、わがままで乱暴だった父親を思い出したのだ。
フェリーが接岸すると、乗客がタラップを降りてきた。
その両側で祐太と菅野は、乗船切符を回収した。
ときどき切符を持っていない客がいた。
「乗るときには持っとったんやけど、どこいったかわからんのよ」
そう言う客を、祐太は全て見逃してやっていた。
乗船時のチェックが厳しいことを知っていたからだ。
「あ、そうですか。しょうがないですね」
そのたびに祐太は、菅野が発するにらむような視線を感じていた。
何人目かの切符を持っていない客を素通りさせたとき、菅野から大きな声が飛んできた。
「切符持ってないお客さんには、カバンの中も探してくださいと言わなイカンがや!」
「はいっ!すみません」
祐太は素直に従った。
本来それが基本なのだ。
仕事の手を抜いている社員を見習ってしまっていたのだ。
「カバンとかポケットの中を、もう一度探してみてくださいね」
祐太はやんわりと言ってみることに決めた。
乗客全員が降りたあと、祐太の後ろには3人の客がしゃがみこみ、ガサゴソとカバンの中を探っていた。
そのうち夫婦と思われる中年カップルは、すぐにカバンの中から切符を発見した。
博美とゆう20歳ぐらいの女性だけが1人残された。
「切符が見つからなかった場合、所定の料金の倍額を払っていただきますよ」
菅野が冷たく言い放った。
「そんな・・・」
それを聞いたとたん、博美は泣き出しそうな顔になった。
しかし、すぐに気を取り直して、今度はところ構わずカバンの中身を並べていった。
たくさんの着替えの服、化粧品、洗面用具・・・。
コンクリートの上に白いバスケットシューズが置かれたときには、祐太は思わず胸が詰まりそうになった。
初恋だった女の子とペアで揃えたけど、今はもう捨ててしまった・・・。
あの白いバッシューと同じものだったからだ。
博美のカバンからは切符が出てきそうになかった。
菅野がこれからフェリーに乗り込む客を先導するため、先に事務所に戻る時間になった。
祐太はウエストポーチに集めた切符を菅野に手渡すとき、1枚だけを残しておいた。
菅野が立ち去ると、あたりに張りつめていた空気が一気に緩むのがわかった。
「ああ、もう見つからん」
博美がため息をついた。
「カバンの中にまだ荷物が残ってるでしょ?」
祐太が近付くと、博美は慌てて大きなカバンの口を閉めた。
「見んとって!男の子には絶対見せれん」
そう言われて、やっと祐太はカバンに残された物に思い当たり、顔を赤らめた。
「あっ、ゴメンなさい」
祐太はその場から飛びのいた。
「こっちこそゴメンね。仕事の足止めして。もう諦めよわい」
博美は広げた荷物をカバンの中に戻し始めた。
祐太はもう一度博美に近付き、そっと1枚の切符をさし出した。
博美は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、すぐにその意味に気づいた。
「えーっ!許してもらえるん?ありがとう!助かったあ。ホントにありがとう」
柔らかいオレンジの光に照らし出された博美の笑顔が、祐太には眩しかった。
「エヘヘ♪嘘つくような人には見えんけん、ぼくが特別に許してあげる」
はにかみながら祐太も微笑んだ。
関西への上り便は、たったいま乗客を降ろし終えたフェリーで、折り返し運航される。
その便に乗る客の行列が見えてきた。
祐太と博美は出口に向かった。
菅野の渋い顔が見えてきた。
祐太は行列の先頭にいる菅野にVサインをしながら、「博美から受け取った切符」を見せた。
そのとき初めて菅野が笑った。
ロバート・デ・ニーロみたいな顔で笑った。
「案外悪い人じゃないかも知れないな」
祐太はそう思うと同時に、後ろめたさも感じていた。
博美がちゃんと切符を買っていたとしても、祐太のとった行動が正しかったとは言えない。
さらには、いま隣を歩いている博美が不正な方法で乗船していたとしたら、会社に嘘をついたことになる。
仕事ってなんだろう?
与えられた使命を果たすためには、人を疑わなければならない。
人を信じすぎると、使命を完遂できないこともある。
大人の社会は厳しいもんだな。
菅野のおかげでそれはわかった。
逆をゆく人も確かにいるけれど。
どこで線を引いたらいいのか、まだ少年の祐太にはわからなかった。
でも、とりあえず博美を信じることにした。
きれいな目を100%信じておこう。
祐太はそう思った。