ぼくを生んでくれた母ちゃんに電話をすることにした。
母ちゃんの声を聞くのは2年ぶりで、一昨年の春、よそへ行っていたぼくが四国に戻ってきたときに連絡して以来のことだ。
母ちゃんは九州のある街に住んでいて、観光ホテルで仲居の仕事をしている。
10年前の1995年、ぼくを置いて出て行った当時付き合っていた男の人と、いまも一緒に暮らしている。
口に出して言ったことはないけど、母ちゃんがぼくを捨てて知らない男のもとに走ったことを、ぼくはずっと許せずにいた。
母ちゃんがあと何年か我慢して父ちゃんと一緒に暮らしていたら、その後のぼくの人生は大きく変わっていただろう。
大学に行き、熱血高校教師になる夢を叶えていたはず。
何かの理由があって、もし進学を諦めたとしても、いい会社には就職できただろう。
高校生のときから〝生きるためのバイト〟が本業・・・そんな惨めな暮らしをすることはなかったに違いない。
毎朝自分でお弁当をつくることが苦にならないようになるなんて、絶対にあり得ない。
初恋のあの子との恋も、ハッピーエンドな方向へ進んでいたかも知れない。
しかし、あのとき・・・。
酒乱でDV男だった父ちゃんとの絶望的な生活に悩み苦しんでいた母ちゃんを、逃がしてあげたのはぼく自身だ。
自分が我慢をすれば、大好きな母ちゃんに笑顔が戻ると信じたのは、ほかの誰でもなく、ぼく自身なんだ。
「ゆうくんを必ず迎えに来てあげる」
ぼくは、母ちゃんが別れ際に言ってくれたその言葉を素直に信じていた。
だからこそ、いつか再会する日、母ちゃんがぼくを見てがっかりしないよう、純粋な気持ちのままで母ちゃんを愛し続けようとした。
母ちゃんを恨んではいけない。
ぼくは母ちゃんのしあわせを願いつつ、ただ〝まっすぐに〟生きよう。
少年だったぼくは、そんなふうに強く心に誓ったのだ。
「昔のまんまのゆうくんだね」
と、たったひと言、母ちゃんにそう言ってもらうために・・・。
やがて、ぼくは、母ちゃんに好きな人がいて、実は一緒に暮らしていることを知った。
そのときに受けたショックの大きさは、ジイちゃんが死んでしまったときの衝撃に匹敵する。
「あれほど信じていたのに、母ちゃんに裏切られた!」
それからのぼくは、思い通りにゆかないことや悪いことがあれば、すべて母ちゃんのせいにするようになった。
≪続く≫
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